【第1シリーズ】
犬神家の一族
本陣殺人事件
三つ首塔
悪魔が来りて笛を吹く
獄門島
悪魔の手毬唄
【第2シリーズ】
八つ墓村
真珠郎
仮面舞踏会
不死蝶
夜歩く
女王蜂
黒猫亭事件
仮面劇場
迷路荘の惨劇

横溝正史シリーズ
「本 陣 殺 人 事 件」

1977/05/07〜05/21
(全3回)
「本陣殺人事件」イメージ 脚本:安倍徹郎 監督:蔵原惟繕
配役
一柳賢蔵:佐藤慶 / 一柳三郎:荻島真一
久保克子:真木洋子 / 久保銀造:内藤武敏
一柳鈴子:西崎みどり / 一柳糸子:淡島千景
一柳伊兵衛:北村英三 /白木静子:松村康世
清水京吉:草野大悟 / かね:野村昭子
日和警部:長門勇 / 県警本部長:菅貫太郎

誘(いざな)うもの (「本陣殺人事件」評)

りょう
昔、横溝正史シリーズという番組があった。当時僕はまだ小学生だった。
「こんな時間にTVなんか見ててもいいのだろうか、親にみつかったらどうしよう」
そんな思いとは裏腹に僕の眼は貪欲だった。
「恐ろしい殺人や不思議な謎のある」怖〜いお話にくぎ付けになったのだ。
中でも「本陣殺人事件」は僕に強烈な印象をあたえた。
なにがそんなに印象的だったのだろうか。
あれから二十数年たった今、当然僕は大人になった。
ここはひとつ、当時を思いつくままに振り返ってみよう。


1、題
まず「本陣殺人事件」と言う題だが、これにはとても惹かれた。
「本陣」の意味はわからなかったのだが、その後に付いている「殺人事件」と合わさると実に良かった。
「本陣、殺人事件!う〜ん格好良いぞ!!」と一人で悦に入っていた。
江戸川乱歩の少年探偵シリーズで、ミステリーの入り口に立っていた僕は、ことさらそう言う言葉に敏感だった。
子供向け作品の同シリーズでは「殺人事件」などと言う直接的な題はなかったので、余計に刺激的だったのだ。
この題を知った時点で、既にはまっていたと言える。

2、小道具
もともと横溝作品には小道具がよく使われるが、特にこの作品には数多くの小道具がちりばめられている。
「琴」「雪」「密室」「日本刀」「黒猫」「三本指の男」と、ざっと思いつくものでもこれだけある。
もともと好奇心のかたまりで見ている上に、それを刺激するものが矢継ぎ早に出てくるのである。しかも恐ろしい演出のもとに。
「怖いもの見たさ」が子供心を支配する事間違い無しであろう。
「さ、三本指なのかぁ」と画面にくぎづけだった。
そもそも小道具とは即ち「イメージ」である。そして子供にとってこの「イメージ」が果たす役割は非常に大きい。
「イメージ」によって飽きる事なく惹きつけられ、尚且つその「イメージ」が強く記憶に留められるのである。
黒猫が道を横切れば「本陣」 庭に降った雪を見ては「本陣」 琴の音を聞いても「本陣」である。正に「イメージ」による連想ゲームだが、当時はそれ程の強さで意識させられたわけである。
その後もたくさんのミステリー番組を見たはずだが、これほど鮮明に覚えている作品はそうない。

3、音楽
この作品の音楽には「琴」が多く使われていた。
様々な場面のB・G・Mに使われており、登場人物が実際に弾くシーンもあった。
作品のラストも「琴」の音で締められ、かなり「琴」と言う楽器を意識させる演出になっていた。何故、何度も「琴」を登場させたのか、意識させたのか、それは事件解決の際に判明する。
事件の大事な部分に抵触するため詳しくは書けないのだが、「琴」は事件解決に非常に重要な「アイテム」だったのだ。
僕はこの作品で初めて「琴」なる楽器を知ったが、それでも確実に印象付けられ、解決シーンでは「ここで、琴かぁ!」と度肝を抜かれた。
「琴」を映像として見せるだけでなく、音からも印象付けた演出は実に見事な仕掛けだった。
B・G・Mをただの音楽としてではなく、そう言った演出にも絡めているのにはほとほと感心した次第である。

4、古谷一行の金田一耕助
先に書いた通り、既にミステリーをかじっていたので、金田一耕助が、日本の名探偵だと言う事は知っていた、当然「名探偵=格好良い」と言う先入観はあったが、この「本陣殺人事件」の金田一耕助は、僕の予想を遥かに超えて
格好が良かった。
冒頭の婚礼シーンで早々と金田一耕助が登場するのだが、その時点でさえ「なんて格好の良い人なんだ」と思ってしまったのだ。それは数秒しか映らぬ横顔にさえ表れていた。
思うに古谷一行の存在が、やはり大きかったのだろう。
しかしそれは当時の彼の年齢、、演技力、お茶の間での新鮮さ、TVと言う媒体などその全てが結集していた結果ではなかったか。
その後「金田一耕助」は古谷一行の当たり役となり、以降も数々の作品が創られたがあのきらめくような横顔はついぞ見る事が出来なくなった。
あの時点で「古谷金田一」は、ある種完成された形だったのだと思う。
こう書くと当然反対のむきもあるであろう。しかし少なくとも僕にとって当時の「古谷金田一」はどんなヒーロ-よりも格好良かったのは間違いない。

5、事件の解決=犯人の哀しい動機
いわゆる、物語の山場である事件の解決だが、僕にとって単に物語の山場と言うだけでなく、その後を決めたシーンだった。
金田一耕助が事件関係者に名推理を展開し、それまでの謎が一つ一つ解かれてゆく。
その昔、乱歩は本格探偵小説を「奇妙な謎が論理的に解き明かされる様を描いた小説」と定義付けたが、このシーンが正にその定義を実践したものだったのだ。
僕はミステリーの醍醐味を、それも非常に上質な醍醐味を見せられたのである。
そして僕はこの作品を支える、最も大事なものを見た。
なぜ犯人はこの事件を犯さなければならなかったのかをだ。
「殺人を犯した悪い人」だが、そこには犯人なりの哀しみがあったのである。
いわば「犯人の哀しい動機」だ。
当時の年齢ではさすがに全てはわからなかったものの、それを知った後の寂しさや哀しみは感じる事が出来た。だからこそ全てが終った時僕は感動したのだ。
そして、ここに至って僕のミステリー熱は一気に加速した。
乱歩によってミステリーの入り口に立っていた僕は、正史によってその中央へと強引に引きずり込まれて行ったのである。


この「本陣殺人事件」は、決して子供向けに作られたものではなかった。
しかし感受性豊かなその時代に見る事が出来て本当に良かったと思う。
この作品を見ていなければ、僕はこの「評ならぬ評」を書いていないであろう。
いや、この作品を見たからこの作品の評を書いたと言う意味ではない。
この作品を見なければ、その後のミステリー遍歴はなかったのである。
こうして僕はミステリー漬けな大人となった。
しかも何時の間にか、当時の僕と同じ年頃の子供を持つようになっている。
今度、彼に「本陣殺人事件」を見せてみようと思っている。
なぜなら彼は今、ミステリーの入り口に立っているからだ。当時の僕と同じように。
(C) 2003 NISHIGUCHI AKIHIRO
(C) 2002 KAMWDA HIROYUKI