Kindaichi Kousuke MUSEUM
【第1シリーズ】
犬神家の一族
本陣殺人事件
三つ首塔
悪魔が来りて笛を吹く
獄門島
悪魔の手毬唄
【第2シリーズ】
八つ墓村
真珠郎
仮面舞踏会
不死蝶
夜歩く
女王蜂
黒猫亭事件
仮面劇場
迷路荘の惨劇

横溝正史シリーズII
「仮 面 舞 踏 会」

1978/06/03〜06/24
(全4回)
「仮面舞踏会」イメージ 脚本:椋露路桂子 監督:長野卓
配役
笛小路美沙:村地弘美 / 笛小路篤子:乙羽信子
鳳千代子:草笛光子 / 飛鳥忠熈:木村功
笛小路泰久:久保明 / 津村真二:佐原健二
槇恭吾:小笠原弘 / 古田:柳生博
飛鳥熈子:皆川妙子 / 多岐:露原千草
的場英明:内田稔
田代信吉:三ツ木清隆 / 看護婦ミチ:太田黒久美
日和警部:長門勇 / 日比野刑事:田中幸四郎

「仮面舞踏会」評

思えば金田一耕助はかなりの幸運の持ち主である。
彼の係わった事件の殆どは、新聞に大々的に報道されるのがあたりまえであるような要素を持つものばかりであった。
依頼により動くケースはもとより、「耕助も歩けば棒にあたる」的に偶然に巻き込まれてゆくケースも多々あり、そしてそれらの事件の大半は上記のような大事件に発展してゆく。
それには、彼が犯人の早期発見ができないという欠点もあるのだが、幸か不幸かそれらの積み重ねにより彼は確実に名を上げてゆくことになる。
この事件に関しても、高名であるが故の依頼ではあるが、たまたまそばに居た為に事件に介入することになる。
事件関係者は、有名女優・貴族・作曲家・画家等々、同業者が歯ぎしりをして悔しがるようなそうそうたる顔ぶれである。
またしてもマスメディアが大騒ぎするに足りる事件をなんなくGETしてしまったのだ。
ここまでくると、幸運と言うよりむしろ強運であると言える。
しかしそんなことはどこ吹く風で、この超強運有名私立探偵はおきまりの服装・ゲタ履きスタイルで山登りしているから滑稽である。
登山靴とは言わないにしてもせめてスニーカーでも履けば良いとも思えるが、断固としてスタイルを変えることのない姿勢、あるいはそのセンスの無さが彼の魅力なのである。

事件は有名女優の元夫達が次々と殺害される連続殺人事件。
舞台は避暑地・軽井沢。
当時の軽井沢と言えば、まさにブルジョアの巣くつである。
古谷金田一は、財界の大立て者である飛鳥産業の飛鳥忠熈の別荘、作曲家津村真二の別荘、元貴族である笛小路家の別荘等、一般人が決して言葉を交わすことのない人物達の、一般人が決して足を踏み入れることのない邸宅内を当然の如く行き来し事件解明に右往左往する。
このようなシチュエーションは彼にとって珍しいことではなく、逆に言えば毎度のことでもありまさに強運の賜物である。
そして犯人解明にもその強運ぶりが発揮される。
あの有名?なグリーン上での犯人解明劇がそうある。
これは、警視庁主催のゴルフコンペで、参加者は事件関係者のみ、もちろん古谷金田一の差しがねであり、彼はこのコンペの中でトラップを仕掛けある人物を探すつもりだったのである。
しかしてそのトラップにかかったのはなんと犯人自信であった。
と言うより偶然にも犯人を特定せざるを得なくなったのである。
古谷金田一のそのときのセリフから察するに、彼にとってこの犯人は全く意外な人物であったのである。
恐らくこのコンペに至るまでにその人物が犯人であることは予想もしていなかったのであろう。
これもまさに強運である。

当初、この事件とは全く関係の無いと思われていた心中事件にすでに出くわしていたこともまたしかりである。

私は彼のこのすさまじい運勢に何か理由が無かろうかと、雲をもつかむ思いでとりあえず姓名判断を試みてみた。
するとどうであろう、「金田一耕助」という姓名によるその結果には目を見張るものがあったのだ!
以下がその結果である。

主運(家庭運):大吉
性格運・財産運・健康運:大吉
環境運・社会運:大吉

なんとステキな運勢であろうか!
まさに「大吉」の歩行者天国・運勢のグラミー賞である。
きっと貧しい家庭に生まれたふびんな男子への、せめてもの両親の最高の贈り物なのであろう。
家庭運・財産運が良いというのはいささか疑問であるが、この結果により彼の強運ぶりは本物であると裏付けられた。

さて、金田一の運勢はさておき、本来の目的である「シリーズ」作品評を進めていこう。
私はこの作品が非常に好きである。
最後に古谷金田一が述べる「火事場のばか力」説には首をかしげてしまうが、それ以外は非常によくで来た作品である。
実は、原作での金田一耕助の推理はかなりアヤシイ。
その点「シリーズ」では、人物設定がかなり簡素化され登場人物もグッと省略されている為、きれいにまとまった内容に仕上げられているし彼の推理も不自然でない。
もっとも、上記「火事場〜」説に関しては原作のほうが納得できるものがあったが。
千年続いた貴族の家系に翻弄されるものの苦しみ、色盲を通して明かされる出生の秘密、心中に失敗して一人生き残ってしまった青年のやるせなさ、その青年に心をぶつけて立ち直りを願う献身的な看護婦のひたむきさ、原作には無い部分を含めて引き付けられる要素が盛りだくさんである。
そして、「生まれてこなければ良かったんだ!」という言葉と共に発せられた3発の銃弾による悲しみの大団円。
犯人の残虐的行為には同情の余地は無いのだが、その引き金となったあまりにも悲しい事実がその憤りを静めてしまうのである。
人生はみな仮面をかぶった仮面舞踏会のようなものだ、と古谷金田一はつぶやく。
気付かぬうちにかぶらされていた仮面、それを無理矢理はずそうとした人々。
どちらの結果にせよ、決して幸せではなかったであろうあまりにも悲しい犯人の姿に、悲哀の気持ちを感ぜずにはいられないのである。
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