Kindaichi Kousuke MUSEUM
【第1シリーズ】
犬神家の一族
本陣殺人事件
三つ首塔
悪魔が来りて笛を吹く
獄門島
悪魔の手毬唄
【第2シリーズ】
八つ墓村
真珠郎
仮面舞踏会
不死蝶
夜歩く
女王蜂
黒猫亭事件
仮面劇場
迷路荘の惨劇

横溝正史シリーズ
「獄 門 島」

1977/07/30〜08/20
(全4回)
「獄門島」イメージ 脚本:石松愛弘 監督:斎藤光正
配役
了然和尚:中村翫右衛門 / 荒木村長:河原崎国太郎
村瀬幸庵:金子信雄 / 鬼頭嘉右衛門:滝沢修
鬼頭月代:梶原惠 /鬼頭雪枝:立枝歩
鬼頭花子:萩奈穂美 / 鵜飼章三:三善英史
お志保:浜木綿子 / 鬼頭儀兵衛:富田仲次郎
鬼頭早苗:島村佳江 / 鬼頭千万太:角野卓造
鬼頭与三松:仲谷昇 /お小夜:葉山葉子
竹蔵:江幡高志 / 床屋の清公:三遊亭若円遊
磯川警部:有島一郎 / 清水巡査:河原崎長一郎

「華麗なる風景画」

桜の住人
 私にとっての「事件」それは、小学六年の時、一冊の本から始まりました。幼少から本は好きだったのですが、自ら進んで読むようになったのはこの「事件」がきっかけでした。
 それは、何気なしに図書館から表紙の美しさで衝動借りした「獄門島」です。今思えば子供向けにリライトされたものであったようですが、ハードカバーの単行本で、口絵イラストがたいへん美しく、特に猫の眼と鈴の質感が素晴らしかったのをよく憶えています。
 物語中でも重要な役割を果たす、お勝さんの飼い猫と月代さんの持つ鈴の絵に、私の心は一気にわしづかみにされ、いまだに解き放されていないのです。

 読み進むにつれドキドキしたのは、第二の殺人に大きな関連を持つ「天狗の鼻」において、地元の漁師たちが恐れおののいた「吊り鐘が歩く」シーンです。
 この場面には本当に興奮しました。なぜならこの本のそのページには、なんと、足が生えた吊り鐘が歩く絵が。(笑)
 「そんなバカな」と小学生の私は思いませんでした。「外界と遮断された孤島における因習と妄念が生み出した悲劇」は理解できず、「怪獣」を見るような好奇の眼で見ていたように思います。

 その時分、両親や七つ上の兄がこのドラマを夜更かしして観ていることを匂わせるようになり、学校でも「僕、金田一耕助」という科白が流行り始めました。しかしそのときは、全くこのドラマのことを知らないまま小学校を卒業し、健全な中学時代を過ごしました。
 またしても事件が起こったのは高校一年のとき、偶然再放送された「悪魔が来りて笛を吹く」の最終回(!)を観て、衝撃を受けました。それから20年が経ち、現在の私が出来上がったという謂れ(笑)があります。

 さて、映像化された横溝作品の、最高傑作のひとつと評されることも多い本ドラマですが、それは原作の俳句と殺人という、日本の探偵小説史上、最初にして最高の組み合わせだけにあるのではなく、多くの要素が有機的にからみ合っていると思うのです。それらを思いつくままに挙げてみましょう。

・其の壱『映像美』
 原作では事件は秋に起こることになっていますが、映画版、TV版ともに、季節は夏に設定されております。
 夏だからこそ、瀬戸内海の美しさ、月代、雪枝、花子が浜辺で舞い踊るシーンの妖しい美しさが際立つのです。ことに、TV版の全篇に挿入される海のモンタージュは、この作品に言い知れぬ余韻と、味わいをもたらすことに大きく貢献しております。
 それ以外に映像美がきわだつ場面を挙げてみましょう。

 松明や、提灯の灯り。
 石仏からにじみ出す、血の赤。
 吹きつける突風で、はためく着物。
 風に散る木の葉。
 などなど。

 カメラの画面構成やカット割りも見事ですね。とくに第一話で、最初のCMが入るまでの16分という、本シリーズ中最長の章における、濃密なストーリー展開。
 金田一耕助は、戦友鬼頭千万太の依頼で、事件を未然に防ぐために獄門島に向かうのですが、この部分で、私たちは金田一耕助と共に、獄門島の伝説や主な登場人物、そして、今後起こるであろう事件について知り、実に巧みなカメラワークで一気に物語の核へと突入して行くのです。
 カメラワークでとりわけ印象的なのは、逝去した島の網元、鬼頭家の当主、嘉右衛門の厳かな出棺の傍ら、孫の月代、雪枝、花子が無邪気にお手玉遊びをしているシーンなど、何とも言いようのない妖気をただよわせており、私はこのドラマで最も好きな場面のひとつです。
 前の画面が後の画面と有機的に繋がる、オーバーラップの手法も見事で、最終回、犯人が倒れるシーンと仏壇の鐘の音を重ね合わせるなど、心憎いものです。

 カメラだけでなく、美術担当の西岡善信氏も素晴らしい仕事をしております。
 たとえば、

 月雪花の三姉妹が着る着物。
 第一話で、密談が行なわれた部屋の襖。
 般若面。
 「獄門島」の血がしたたるような題字。
 枕屏風に書かれた俳句の文字。
 掛け軸の墨書。
 などなど。

 これらのイメージがこの作品に与えた深みと味わいは、はかり知れないものがあります。

 物語の長さにも特筆すべきものがあります。
 第三の殺人は、ほかの回に比べて具体的なトリックについて深く掘り下げておりません。
 私は初めてこの作品を見たとき、この点がやや疑問で、もう一話分、物語を伸ばしても良いのではないかと思ったことがあります。しかし、この話をこれ以上長く続けた時、これほどの緊張感ある作品に仕上がったか疑問に思うのです。

 ここで、ちょっと面白い試みを提案してみたいと思います。
 第二話以降、冒頭の「ぼく、金田一耕助です」で始まる承前部分と、エンディングの主題歌を削って、全篇ひとつの作品につなげて鑑賞してみてください。
 「横溝正史シリーズ」で唯一、最終回に「完」のエンドマークが付くことからも、この作品が映画を意識して作られていることは明らかですが、つなげて観ることによって、その素晴らしさがより実感できると思います。
 いや、「ボクは絶対、『まぼろしの人』がなければイヤだ」という方は多いでしょうが、あくまで提案ですから。(笑)

・其の弐『音楽』
 大映、東宝、三船プロの三社で製作された横溝正史シリーズですが、第一クール東宝製作分の掉尾を飾るということもあり、東宝製作分の音楽を担当した、中村八大氏の仕事にも熱が入っております。
 ご存知ですよね、あの「上を向いて歩こう」の作曲者、中村八大氏ですよ。東宝も凄い方を起用したものですね。
 「三つ首塔」「悪魔が来りて笛を吹く」でも彼は素晴らしい音楽で場面を彩っておりましたが、本作品において、八大氏は特別の思いで作曲されているのだな、と感じたのは、「横溝正史シリーズ」では同じ音楽を複数の作品に転用することが多いのですが、「獄門島」に限っては、ほぼ完全にこれ一本のためのオリジナル音楽であるという点です。
 楽曲においても、都会的な前二作では西洋楽器を巧みに用いた洋楽的なメロディーを使用しましたが、この「獄門島」では和楽器、特に三味線の使用が、耳をそばだてます。どこか琉球の薫りが感じられる、実に味わい深い音楽だと思います。

・其の参『演技』
 新劇界の重鎮、中村翫右衛門、河原崎国太郎、そして怪優・金子信雄の三人を柱として物語は展開します。
 中村翫右衛門氏演ずるところの了然和尚は、懐が広く、対するさすがの金田一耕助も、お釈迦様のてのひらに載った孫悟空のように、その存在感に呑まれそうになるほどの演技で、原作のイメージに最も近い了然像を演じ切っております。ちなみに翫右衛門氏は、現在の前進座の代表、中村梅之介氏のご尊父であります。

 このシリーズでの村長と幸庵は、原作とは反対に、前者が痩せ型、後者が小太りとなっております。村長を演ずる河原崎国太郎氏は歌舞伎界における女形として著名な方であるだけに、そのしぐさは上品で、たとえば、密談の場面でお志保が現れ、そそくさとその場を立ち去る場面の摺り足など、見事なものです。
 村長に関しては映画版の稲葉義男氏の方がイメージ通りだったと思いますが、幸庵の金子信雄氏は風貌こそ原作とやや違いますが、まさにはまり役だと言えるでしょう。
 そのどじょう髯、飄逸とした存在感。とくに、酒に酔って自宅に帰る場面などは絶品でした。
 第三話で彼は左腕を痛めてしまいます。それは原作ではトリックの核心に触れる重要な伏線なのですが、ここでは単なるエピソードとして片付けられてしまったのがちょっと惜しい気がします。

 その三人をも畏怖させる、鬼頭嘉右衛門役の滝沢修の存在感は凄いとしか言いようがありません。冒頭の密談の場面における滝沢氏の「眼」の演技は圧巻で、ほとんど一言も口にせずに、すべてを語る様には平伏しますね。
 そんな嘉右衛門老人も月代、雪枝、花子という息子の与三松と流れ者の旅役者との間に生まれた三姉妹に弄られるように亡くなってしまうのですが、この三人の演技も素晴らしいものです。

 花子は最初の犠牲者として殺されてしまうのですが、遺体の検死の際、閉じていたまぶたを不意に開く場面があります。これは原作にはない場面ですが、妖気を盛り上げる意味で大変効果的でありました。
 余談ですが、その時の表情は彼女が「生きて」いた時よりも美しく、思わず惚れてしまいました(笑)
 雪枝は、お志保が三姉妹をたぶらかすために送り込んだ美青年、鵜飼章三とのあいびきの場面が印象的でした。この鵜飼には「雨」などで人気を博した歌手、三善英史が扮しましたが、映画版のピーターの方が美しさ(?)では勝っていたかなという気がします(笑)
 月代は三姉妹の頭であるだけに姐御肌ですが、一ツ家で祈祷を挙げる場面は葉山葉子演じる母親の祈祷のシーンと共に、怖くも、どこかユーモラスな味があります。

 嘉右衛門亡き後、本来名代を継ぐべき息子の与三松は、精神を病み、今は座敷牢に幽閉されています。代わりに、金田一耕助も原作では思慕を寄せることになる、美しい早苗さんが鬼頭家を切り盛りしていますが、その本家と勢力争いをしている、分家の儀兵衛と細君のお志保の演技も素晴らしいものです。
 原作では、儀兵衛が貫禄を見せていますが、こちらでは、浜木綿子演じるところの、男を手玉に取る悪女振りが見事で、映画版の大地喜和子と甲乙つけがたい演技です。本シリーズの「迷路荘の惨劇」では対称的に貞淑な女性を演じており、芸風の広さを見せておりました。

 今回は金田一耕助とともに事件に取り組む磯川警部が登場しますが、この「横溝正史シリーズ」に磯川警部が登場するのは、この「獄門島」ただ一本であり、演じる有島一郎氏もこのシリーズ唯一の出演となります。こういうところにもスタッフのこの作品に賭ける意気込みが感じられます。
 有島氏の、ノンシャランとした飄逸な存在感はユニークで、その長身痩躯の風貌と共に、映画版「悪魔の手毬唄」で若山富三郎氏が演じた、叩き上げの刑事像とは対称的に、ユーモラスな人物を演じています。有島氏とは名コンビとうたわれ、映画版で活躍した三木のり平氏と同様の味がありますね。

 有島氏と夫婦漫才的なコンビの良さを見せる、河原崎長一郎氏が演じる清水巡査は、金田一耕助を犯人と間違え、牢に叩き込んでしまうのですが、奥さんとのやり取りも味がある場面でした。ここでは金田一への訊問の様子を外から覗き見る漁師たちにも注目。
 ちなみに、河原崎長一郎氏は、中村翫右衛門氏、河原崎国太郎氏と共に、「前進座」で活躍した俳優、河原崎長十郎氏のご子息です。

 各話に必ず顔を出し、獄門島についての語り部としての役割を務める床屋「床清」の清さんは、放映の前年に真打昇進を果たした落語家、三遊亭若円遊が扮し、江戸っ子の気風を漂わせた快演を見せてくれます。
 金田一や磯川警部も頭を刈ってもらいますが、磯川警部の顔をカミソリで切ってしまうのがご愛嬌でした。本当に切ってしまったのかどうか、大いに興味がありますね(笑)
 事件発生当初は、金田一に疑いの目を向けていた清水巡査も、誤解が解け、一緒に頭を刈る場面などはほのぼのとして良い場面でした。

 古谷一行氏は、まさに役が板についており、大先輩の翫右衛門氏を相手に、一歩も引かぬ演技を見せております。この作品は、閉鎖された村社会からの無言の圧迫に耐えながら、捜査を進める図式が原作にはありましたが、このドラマにおいては、清水巡査との間に僅かな悶着があった他に問題は起こらず、因習に囚われた者がもつ、重苦しい雰囲気はほとんどないのが特徴と言えましょう。
 もう一人重要な人物に早苗さんがおります。一人で鬼頭本家を切り盛りしている彼女は、この物語のヒロインですが、私たちが期待した金田一とのロマンスらしきものは遂にありませんでした。う〜ん、残念。

・其の四『予告編』
 見過ごされやすい重要な部分ですね。とりわけこの「獄門島」の予告編は「悪魔の手毬唄」と並んで好きなもので、とりわけ第一話のものは絶品です。花子の美しさ、嘉右衛門とお志保との確執。それぞれ見事に描かれておりました。

 このように、いろいろ思い返してみると、私がこの横溝正史シリーズを好きになったのは、原作の忠実な映像化、豪華な俳優陣の名演が最も大きい要因であることは言うまでもないのですが、もしかすると、それよりも、あの茶木みやこさんの歌う主題歌「まぼろしの人」の魅力によるものが、夕陽を浴びて頭をかきむしって去って行く金田一の姿と共に、最も大きいのではないかと思うのです。

 「♪あの人は幻だったのでしょうか。」

 その幻を追い求めて、私のように20年以上も金田一さんを追い続けている人の、いかに多いことか。
 なんと罪な作品でしょうか。
 
(C) 2005 NISHIGUCHI AKIHIRO
(C) 2005 KATO KAZUHIRO