Kindaichi Kousuke MUSEUM

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 横溝正史が対談やエッセイで、金田一耕助について語ったことを紹介するコーナーです。
 本編では語られることのなかった裏話やマル秘エピソードなども垣間見られることから、「金田一耕助異聞」と名付けてみました。
 こんな金田一さん、ご存じでしたか?
 
 
イヤな奴  
ビューティフル・ドリーマー 金田一耕助は馬ヅラだった?
ご存じ! 金田一さん早生まれ説 訃報
酸鼻をきわめる××× ウキウキ大ちゃん
 
イヤな奴
いやな野郎だ、金田一耕助という男は。「仮面舞踏会」(1974)
金田一耕助っていやな野郎なのである。「迷路荘の惨劇」(1975)
だから私は嫌いなんだ、金田一耕助という野郎は。「贋作楢山節考」(「探偵小説昔話」1975/1)
だから私は金田一耕助という男が嫌いである。( 同 )
この頃の横溝先生は、一体どうしてしまったのでしょうか?
随筆はおろか、作中でさえ金田一耕助を目の敵にしています。
そんなに嫌いなら、彼の功名談を書かなければいいのに、わざわざ随筆にまで登場させています。
きっと、作中人物でありながら切っても切れないくされ縁になってしまったことに対して、自嘲気味にうそぶいているのでしょう。

ビューティフル・ドリーマー
「金田一耕助さんもだんだんとしとってきたから、(昭和)三十五年までで止めなければいけないのですよ」

座談会「F・W・クロフツの点と線――名作“樽”をめぐって」 (「ヒッチコックマガジン」1962/8)
金田一さんの事件簿には、やたらと昭和35年に発生した事件が多いことをご存じでしたか?
「白と黒」「悪魔の百唇譜」「夜の黒豹」「仮面舞踏会」そしていくつかの短編たち・・・。
これは、金田一耕助に年を取らせることを哀れんだ横溝正史が、事件簿の時間軸を昭和35年までで止めてしまおうと考えたためだったのです。松本清張の出現により、社会派推理小説全盛となって、名探偵ものが書きづらくなったという事情もあるでしょう。
横溝正史研究家の浜田知明氏も、上記の発言を尊重して、座談会前後に発表された金田一シリーズの年代を、昭和35年以前に設定しています。

金田一耕助は馬ヅラだった?
「石坂(浩二)君にはたびたび会ってますけどね。あのね、あの人、二枚目というより二枚目半ですね、馬面だから。だから、そんなに違和感を感じなかったですね。これがこの人の本領だなあって思ったね、金田一さん見ててもね」

対談「金田一耕助のモデルは……」 (「大屋政子肝っ玉かあさん カミナリ対談」1978/11) 
77年に「女性セブン」に掲載された大屋政子との対談の再編集版。
探偵小説にはあまり興味のない大屋政子の「うちのお父ちゃん」話が炸裂し、横溝ファンにとって実りある対談とは言いがたいが、大屋独特のアップテンポに乗せられて、ポロリと飛び出した発言がコレ。
横溝センセイ、どこかで石坂金田一は二枚目すぎるのが難点って、書いてらっしゃいませんでしたっけ?(笑)

ご存じ! 金田一さん早生まれ説
「(金田一耕助は)僕より十ぐらい下なのね。六十三ぐらい。九つ下だけれどもしかし彼は早生まれということにしているんですよ(笑)。僕は遅生まれなので十ぐらい下になる」

座談会「横溝正史 ―わが道をゆく」 (「本の本」1976/6)
金田一耕助の事件簿では、決して語られることのなかった金田一さんの誕生日について、いともアッサリと明かしています。
金田一さんが早生まれだったなんて設定、一体いつから思いついて、どこに反映されているのでしょう?(笑)
まあ、たとえその場の思いつきだったとしても、原作者がそういうのですから、尊重すべきなのでしょうね。
横溝先生と金田一さんの年齢差も、ちょっとアヤシイ?

訃報
栗本「久保銀造なんか、もうかなりの年じゃないですか」
横溝「おそらくもう死んでるだろうネ。いちいち書かないけれども」


対談「探偵小説への見果てぬ夢」 (「別冊幻影城11 横溝正史IV」1977/11)
栗本薫との対談で、「病院坂の首縊りの家」前後の話になったときのやりとり。
そういえば「病院坂」のラストで、蒸発した金田一耕助の身を案じる友人知己の中に、久保銀造の名前だけがありませんでした。
「悪霊島」で、調査のため岡山を訪れた金田一耕助が、久保銀造に連絡を取るそぶりも見せなかったのは、このときすでに、久保銀造が故人となっていたからなのかもしれません。

酸鼻をきわめる×××
「ぼくは下町中の下町だから、非常に早熟だったんですよ。一番こわい刑罰が砂マラというんです。(子供だからまだ)包茎でしょう。おチンチンに砂を入れるんです。ぼくはやられたこともやったこともないけれど……それはガキ大将がやるんです。兄貴がよくやってた。痛いらしいよー、そりゃもう。そういうふん囲気の所で育ってますから」

不老少年座談会「257歳の顔にいまぼくらの忘れ物が甦る!」 (「サンジャック」1976/9)
いや、金田一耕助とは関係ないんですけど、子供の頃の思い出を楽しそうに話す横溝正史というのも、新鮮で面白いかなと思いまして。
この座談会のメンバーがスゴイ! 横溝の他に植草甚一(なんと横溝とはこの時が初対面!)、ペダンティックな趣味の随筆で知られる梅田晴夫、「アーロン収容所」を書いた評論家の会田雄次と、当時の知識人に絶大な支持を受けていたカリスマ連のそろい踏みなのです。
最高齢ながら「不老少年」の集まりに気をよくしたのでしょうか、初恋の話からここには再録できないキワドイ発言まで、よそでは聞けないエピソードにも触れ、お得な内容になっています。
そりゃ、「書かでもの記」には砂マラの刑は、書けないよなあ。

ウキウキ大ちゃん
加納警部補「それにしても金田一先生はどうなすったのかな」
等々力警部「どこかでウロチョロしてるんだろ。あの先生がウロチョロしはじめると事件が解決しはじめた証拠だ。そして等々力警部さんが捜査一課長さんからお褒めにあずかるという寸法さ。こんどは君にも手柄をわけてあげるよ。あっはっは」


「百唇譜」 (「推理ストーリー」1962/1)
原形作品より、どうしちゃったのと言わんばかりにゴキゲンな等々力警部どのであります。
事件の急展開にいらつく加納警部補をなだめるため、わざとノンキにかまえているのかもしれませんが、まだ事件は解決していないのに、こんな余裕かましていてもいいのかね?
金田一さんがいいこと言ってますよ。
「そうあんたがたのようにのんびり構えていちゃ、真犯人に足もとをひっさらわれてしまいまさあ」(泥の中の女)
等々力警部の普段のイメージに合わないウキウキっぷりでした。

(C) 2004-2006 NISHIGUCHI AKIHIRO