Kindaichi Kousuke MUSEUM

事件簿編さん室

金田一耕助図書館
├5F:横溝作品の源流
├4F:研究本の世界
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│ └<贋作の考察>
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金田一耕助図書館4F
横溝正史研究本の世界


金田一ファン必読!! 当博物館を上回る情熱と研究成果に脱帽

『幻の人 金田一耕助を素描する
鈴元 美御(ひろりん) 同人誌 1993年 \700(送料込)
「幻の人」表紙画像  スゴイ本を見つけました! きっかけは、木魚庵のもとに届いた一通のメールでした。
 差出人は、「映像ご意見板」にもご発言をいただいた、ひろりんさんです。

 私は角川「犬神家の一族」封切当時から金田一を敬愛してきた者です。以来今までずーっと1人でくすぶっていました。5年前には同人誌で研究本も作りました。でも全然売れなかったんです。だから金田一にこだわり続けてるなんて、てっきり私だけかと思っていたのに。

 同人で研究本を作ったという一節に興味をひかれ、特にお願いして送っていただいたのが、この「幻の人」です。

 一読、「水爆が爆発したようなはげしいショック」を感じました。なぜって、そこには「金田一耕助博物館」などおよびもつかない鋭い考察が、惜しげもなくちりばめられていたからです。それでいて、研究一辺倒かというとさにあらず。金田一耕助に注がれる暖かいまなざしは、木魚庵もかなわないほど一途で真摯です。
 ああ、この人は作品研究や考察がしたいというより、とにかく金田一耕助について書きたいんだな、書くことで金田一耕助に触れている、今のこの状態がベストなんだな、という雰囲気が、ページ全体から伝わってきました。
 金田一の動向より、文中に現れる風俗描写をかわいがり、作者の意図から離れた年代考証を行なっているどこかのホームページとは、おのずから姿勢が違っています。
 ホームページを開設して、様々な金田一ファンと巡りあうことができましたが、そんな皆さまにも、この感動を分け与えたく思います。

 「金田一耕助博物館」が自信を持っておすすめする「幻の人」は、

おかげさまで、完売いたしました!

 
内 容 紹 介
REPORTS
 ・名探偵のいない部屋
 ・ルック・オブ・ラヴ
 ・名探偵の財産を洗え!
 ・耕助をめぐる女たち
 ・バリバリ、ガリガリ
 ・あの人は戦場にいった
 ・金田一耕助を邪推する
 ・最後のミステリー

SHORT-SHORT STORIES
 「枯れ野」
 「別れの予感」
 「あいたくて」

THE OTHERS
 ・金田一くらぶ1
 ・金田一くらぶ2
 
「あの人は戦場にいった」より(部分抜粋)

 彼が戦場でなにをやっていたのか前向きに考えてみよう。彼の最大の武器は頭脳だが、軍隊で頭脳的な采配が期待されるような地位に彼がいたとは思えない。また、負傷した様子はないから、前線で戦闘を行なう兵科は除外していいだろう。六年という召集期間の長さ(普通は2、3年あるいは4、5年で召集解除になり帰国できるらしい)を考えれば特殊な任務だったのかもしれない。頭脳以外の彼のセールスポイントと言うと?
 金田一はアメリカ時代にカレッジに通いながら、病院で看護助手のバイトをしていた。そこから推量して、彼が中退した大学は薬学関係だったのではないかと書いた人がいる。ここで『獄門島』の記述が重要になってくる。

 鬼頭千万太は一度かなりひどいマラリアにやられたことがあって、どうかするとそれが再発した。そんな場合いつもつききりで介抱してやるのが金田一耕助だった。(P15)

 戦場で一般兵士が、特定の戦友の介抱に時間を割けるはずはない。この記述が真実を伝えているならば、金田一の任務が「看病」であったことを傍証するのだ。

 顔色が悪く腕の立たない金田一は、大陸で衛生要員として選ばれ、軍医に近い場所で働いていたのである。そう考えれば「戦場で彼は数えきれないほどの死体を見てきた」(獄門島)という一文が重い意味を持つではないか。

どうです、この洞察力! 原作の記述を無理なく活かして、金田一像に新たな一面をつけ加えています。
 
コラム「現在・過去・未来 あの人に逢ったなら…」より(部分抜粋)

 金田一耕助に悪意を持っている人は少ないだろうが、この期に及んで彼のことを熱っぽく語る人もめったにいない。「なんで小野寺昭が金田一をやるのよーっ!」と憤慨する人も最近はいないようだ。
 往年の横溝正史ブームの頃、「金田一耕助を守る会」「金田一耕助に年を取らせない会」などのファンクラブが雨後のタケノコのごとく結成されたと伝え聞いている。会員だったお姉様方は今も彼を好きだろうか?子供を寝かしつけたあと「今度は鶴太郎ですって? ばか言ってんじゃないわ」なんて、昔とった杵柄でテレビ局に抗議文を書いたりしているだろうか?
 実を言うと私は今、この先輩がたをちょっと恨んでいるのだ。金田一について書かれた文章があまりに、あまりに少ないからである。たくさんのサークルがあったにもかかわらず、なんで彼女たちによるきちんとした研究書が1冊もないのか不思議でならない(研究する価値はあると思う。文化という視点においても)。
 誰かが、私のような物好きのために金田一のパロディ小説集や評論集を作ってくれないかしら、と虫のいいことを願っている。虫がよすぎるので今回は自分で作ってみたのだ。
 私は、金田一に関する文章を浴びるほど読みたい、もっと彼を研究する人が増えてほしい、ただそれだけなのです。

……ひろりんさん、当「金田一耕助博物館」は、お気に召しましたでしょうか?
 
 
(C) 1998-2003 NISHIGUCHI AKIHIRO