金田一耕助に関するご質問がありましたら、木魚庵まで(ハンドルも明記してね) |
Q119
女性をその気にさせる、ありがたーい薬は何? |
最近「三つ首塔」を読みなおして思ったんですが、古坂史郎が音禰に飲ませようとしたカクテル(?)っていったい何が入っているんでしょうか?
また、「女王蜂」で九十九龍馬が智子に飲ませた甘い酒って?
どちらともまったく同じものではないのでしょうが、飲ませた男に女性が身をまかせてしまうらしいという効能があるらしいですよね。
いったいそれは何なんでしょう? 男性に飲ませても効くんでしょうか?
単にアルコールがきついというだけでは、どの女性に対しても必ずそこまでの効能が現れるとは思えないのですが・・・。
よろしくお願いいたします。
(yamayuki さん)
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それを飲んだらどんな女性でも男に身をまかせたくなってしまうお酒、実在したら世の男性たちは、先を争って手に入れようとするでしょう。もちろん、僕もその列に並びます(笑)
ご推察のとおり、ただ強いお酒というなら、そう上手くはいかないですよね。
古坂史郎が自信たっぷりだったことや、大道寺智子にテキメンに効いたことを考えると、おそらく市販の媚薬ではなく、意識がもやーっとしてしまう、非合法の麻薬の一種だったのではないでしょうか?
実際、大道寺智子はお酒を飲まされたあとで意識を失ってますよね。
自分の話で恐縮ですが、病院で胃カメラを飲んだときに、モルヒネ系の薬を点滴注入されたことがあります。とたんに気持ちよーくなって、全身の力が抜けてふわふわした気分になりました。
薬物を注射するのと飲ませるのでは、効き目に違いはありますが、悪意を持って女性に飲ませたら、あるいは小説のように思いのままにすることもできるかもしれないですね。
男性に飲ませて同じ効果が得られるかは、疑問です。男性の場合、全身が弛緩状態にあってはそのような行為ができないからです(笑)
それにしても、九十九龍馬さんは商売柄そのような薬を用いるのは仕方がないかもしれませんが、まだ若い史郎ちゃんが女性をモノにするのに、まずは薬に頼って、失敗したら暴力をふるうというのは、芸がない気がします。せっかくの美少年なのだから、その美貌をもっと活かせば良いのにと思ってしまいます。ハイ、よけいなお世話でしたね。
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Q118
杉本一文さんってどんな人? |
角川文庫に収録される折り、その表紙にとてもおどろおどろしいカバー絵を描いておられた、「杉本一文」画伯の情報を教えて下さい。
いわゆる「横溝正史ブーム」の火付け役として、画伯の影響力は多大なものだと思っています。
あの「おどろおどろしい」カバー絵に惹かれて横溝世界に足を踏み入れた方も多いのではないでしょうか。
僕の記憶によれば、画伯は僕と同郷(福井県武生市)だと思います。
その後の活動等、もし知っておられたら教えてください。
(かわいち さん)
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杉本一文さんですが、お名前を「かずふみ」と読んでいる方もいらっしゃるかもしれません。
「日本図書設計家協会」の会員名簿によれば、「すぎもと いちぶん」とお読みするのが正しいことがわかります。
かわいちさんのおっしゃるとおり、昭和22年福井県出身、お父様は書道家でした。
デザイン事務所に籍を置きながら自費出版で画集を制作、昭和46年に角川書店の編集局長(当時)であった角川春樹がその画集に目を留めたのがきっかけで、角川文庫「八つ墓村」(再版)のカバーデザインを担当、これが「世に出る最初の仕事」(『横溝正史追憶集』より引用)となったそうです。
以来10年にわたって九十数冊を装幀するにあたり、時代背景や独特の雰囲気を表紙で伝えるために、そうとう苦労をし、研究もされたとか。
お節介ながら杉本氏の生年から計算すると、いまだに賞賛の声が高い角川文庫の表紙は、氏が24歳から30代半ばまでに描かれたものということになります。
横溝正史の他に半村良、土屋隆夫などの角川文庫でも、独特のリアルでシュールな作風の表紙を描いていらっしゃいます。
現在でもリバイバルされたコミック文庫の表紙や、架空戦記ノベルス、朝松健などの書籍の装幀を手がけていらっしゃいますが、主な活動は銅板画で、共同で展示会なども開かれています。
平成14年には、銅版画集『翼類伝説』(岩崎電子出版)を出版。
以下のサイトは、刊行を記念したインタビューです。角川文庫の思い出にやけにウェイトが置かれていますので、ぜひともお読みください。
http://www.business-21.com/sugimotoichibun.html
「金田一耕助博物館」では、平成14年の横溝正史生誕100年記念イベントの際、クイズの景品としてサイン色紙をお願いした経緯があります。素顔の杉本画伯は、お酒を飲みながらワイワイやるのがお好きな、とても気さくな方ですよ!
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Q117
金田一さんの誕生日を教えて? |
金田一耕助の生年月日を教えてください。
(hkazuya さん)
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では、金田一さんの誕生日の話をする前に、シャーロック・ホームズの誕生日について述べさせていただきます。
シャーロッキアンたちの間では、ホームズの誕生日は1854年1月6日とされています。
いくつかの論拠は用意されているようですが、実はこれ、さる有力なシャーロッキアンが、大好きなホームズの誕生日を自分の兄弟の誕生日に合わせるために、原作中からそれっぽい記述を探し出して勝手に決めちゃったというのが真相のようです。
さて、我らが金田一先生にも、誕生日が設定されたことがありました。
1979年、東映映画「悪魔が来りて笛を吹く」のプロモーション用に、金田一耕助の詳細なプロフィールを作成するよう依頼されたのが、当時のワセダ・ミステリ・クラブの面々です。
事件簿などは、作中の記述をもとに整理できたのですが、さて誕生日となると、まったく手がかりがない。まさに雲をつかむような試行錯誤の末、西洋占星術と占数術をもとに割り出されたのが、6月13日という日付。もちろん、原作中にはまったく根拠はありません。 |
Q116
金田一さんにはフルネームがよく似合う? |
私は金田一耕助歴22年ですが、いまだに解けない疑問があります。横溝先生は作品の中で金田一耕助を描写するとき、「金田一耕助」とフルネームで書かれています(初期の作品にはそうでないものもありますが)。なぜでしょう? お教えください。
(destiny さん)
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これはズバリ、語呂がいいからだと思われます。
ドラマなどで、「こちら、きんだいち、《こ》うすけ先生」など、「こ」の字にアクセントを置いた呼び方をされると、違和感を感じませんか?
金田一さんの名前は、「きんだいちこうすけ」とひと息で流れるように発音するのが、もっとも安定しているのです。
それが証拠に「金田一は」では居心地が悪いし、「耕助は」というのも、何かを言い残したかのようにもの足りなく思われます。
これはあながち憶測ばかりではありません。
横溝正史のネーミングの秘訣として、実在の人物の姓名をもじってつけることがあったようです。氏によると、最初から名前の響きに馴染みがあって良いのだそうです。
角川文庫のタイトルにもなっている山名耕作は山田耕筰から、敏腕記者三津木俊助は戦前の翻訳家三津木春影の名前を、金田一耕助の場合は金田一京助博士といったふうに、これらの名前ははじめから姓名でワンセットなのです。
横溝正史が金田一についてさまざまな書き方を試しながら、最終的に毎回フルネームで描写するようになったのには、このような要因が考えられます。
いかがでしょう、納得していただけましたでしょうか。
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Q115
リライトされた金田一作品にはどんなものがある? |
実は、僕が最初に読んだ金田一耕助の登場する作品は、横溝先生が書かれたものではなかったのです。
当時はある作品が映画化されたりする場合、原作者とは別の人物が、それを子供向けに書き直すことがあって、僕は、その、リライトされた「犬神家の一族」(学研の中学2年コースという学習雑誌収録)で金田一耕助氏と出会った訳です。
そこで、質問なのですが、「金田一耕助」におけるそういうリライト作品なんかの書誌的研究は行われているのかなっていうことなのです。
よろしくお願いします。
(早苗大好き さん)
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now writing . |
Q114
いちばん美しいヒロインは誰? |
横溝先生は作品内でヒロインの女性を描く際、よく「たとえようもないほど美しい」的な描写・表現をされています。そこで質問なのですが、総じて「美しい」女性の中でも、とりわけ美しいメイン女性は一体、だれなのでしょう?
もちろん、読む人の好みも多分にあるとは思うのですが・・・。
(けんいち さん)
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now writing . |
Q113
成城の先生って、横溝正史のことなの? |
近ごろの研究では、金田一耕助シリーズの伝記作家である「成城の先生」のことを、横溝正史と名指しで書いてあるものが増えてきましたが、成城の先生は本当に横溝正史本人なのでしょうか。
(木魚庵)
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自問自答で恐縮ですが、たいへん大事なことなので、あえて採り上げることとします。
語り手(記録者)が一人称を用いている文学作品の研究を行う際、その正体を明確にするということは、基本中の基本の作業に当たります。記録者が作者自身なのか、作者の理想を投影した別人なのか、または作者とは無関係の第三者なのか、それによって記録者の立場が異なるため、記述の信頼性や客観性、ひいては作品全体の捉え方が変わってくるからです。
まあ、こんな小難しいことをいわなくても、最近のミステリでは、「私」という記述者が登場したら、そこにトリックがないか一応は疑ってみるというのが鉄則ですよね。そこで、「成城の先生」を自称している事件記録者「私」に叙述上のトリックがないか、疑ってみましょう。
まず、成城の先生を横溝正史と同一視している人たちは、なぜそう考えたのか、その根拠をあげてみましょう。
・病気療養、疎開などの経歴、乗り物恐怖症や結核などの疾病が、詳細に至るまで一致していること
・イニシャルが一致していること(Yさん、S・Y先生)
・小説以外の随筆などでも、横溝正史が自らを「成城の先生」と称し、金田一耕助と会話をしていること
なるほど、これだけ条件がそろえば、同一人物と考えてしまうのも無理はありません。特に三番目は決定的と思えるかもしれません。
しかし、忘れてはならないのは、横溝正史は実在の人物で、金田一耕助はその作中人物であるということです。小説であろうと随筆であろうと、金田一耕助との会話があれば、それは作者が創作した文章なのです。創作であると判断され次第、その文章は事実の記録とは一線を画して考える必要性が生じます。
それに、横溝正史の随筆を同一人説の根拠に挙げるのであれば、同じ随筆集に収められている、金田一耕助のモデルについての記述や、鬼首村手毬唄を思いつくきっかけとなった漏斗の話、横溝夫人のことばから「獄門島」の真犯人が決まったという作品執筆の裏話を、どのように位置づけるのでしょう?
(もちろん、金田一耕助や彼の扱った事件を実在するものと見なして研究を進めている方を、否定しているのではありません。それもまたひとつの見識であり、実際、シャーロック・ホームズ研究では、ホームズやワトスンを実在した人物に当てはめる試みが、盛んに行われています)
何より尊重したいのは、横溝正史が作中、成城の先生について一度も実名を用いていないことです。
例えば、高木彬光は自作「白昼の死角」や「能面殺人事件」に実名で登場、特に後者では探偵役までつとめています。
このように、小説に現実感を増すのであれば、イニシャルではなく実名を表記した方がより効果的なはず。それなのに横溝正史があえて実名表記を避け、「岡山のYさん」または「S・Y先生」としか書かないのは、作中の成城の先生が横溝自身をモデルとしながら、完全に同一視をされぬよう、注意深くペンを運んだからに相違ありません。
以上のことから、当博物館では金田一耕助の伝記作家である「成城の先生」は、横溝正史が限りなく自分自身を投影した、作中人物であると判断します。作中人物である以上、成城の先生の行動は、作中に記されていない実在の横溝正史の行動にまで、縛られることはなくなるのです。
夢のない結論と思われる方もいるかもしれませんが、横溝作品を文学として読み解いていくためには、いずれ必要となる手順ですので、あえて論じさせていただきました。
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Q112
金田一さんの素敵なステッキの話? |
途中からステッキを持たなくなったような気がするんですが・・
(Yyukiko さん)
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スルドイッ!
おっしゃるとおり、初期の金田一耕助はステッキをついていました。最初にステッキの記述がお目見えするのは、「本陣殺人事件」の、金田一耕助初登場のシーンです。
「そういう青年が高―川を渡って川―村のほうへ歩いてくる。左手は懐手したまま、右手にはステッキを持っている。ふところがおそろしくふくれているのは雑誌か、雑記帳か、そんなものが突っ込んであるのだろう」
(角川文庫『本陣殺人事件』P.79)
この時のステッキの材質は、あいにく書かれていません。
次にステッキが登場するのは、「黒猫亭事件」で事件記録者となる「岡山のYさん」のもとを訪ねたときのことです。
「土間に立っているのは、三十五、六の小柄の人物であった。大島の着物に対の羽織を着て、袴を履いていた。無造作に、帽子をあみだにかぶって、左手に二重廻しをかかえ、右手に籐のステッキをついていた」
(角川文庫『本陣殺人事件』収録「黒猫亭事件」P.283)
これが、戦前に使用していたステッキと同じものかどうかは、不明です。その直前の「獄門島」では、ステッキをつく場面は見当たりませんでした。坂の多い島では、ステッキはかえって邪魔になるので、久保銀造に預けていたのでしょう。
推理作家のYを訪ねたのは、(戦災で焼けてしまって)戻る家のない帰京の途中だったため、落ち着き先が決まるまでの間、必要とするであろう二重廻しやステッキを持ち歩いていたのでしょう。
この籐のステッキは、東京に帰ってのち、「黒猫亭事件」調査の際にも持ち歩いています。
そして、それきりこの籐のステッキは使われなくなってしまいます。ステッキを持ち歩くという行為が流行遅れとなったのでしょうか。それとも戦後の東京では、ノンビリとステッキをついて歩く余裕がなくなったということなのでしょうか。
ところが昭和28年、金田一耕助は思い出したかのように、突如ステッキを持ち歩きます。
「金田一耕助はそれからまもなく蓬髪のうえに、苦茶苦茶に形のくずれたお釜帽をのっけて、まだ暮れきらぬ都会の黄塵のなかへ飄々として出ていった。なんの木かしらないが、ひねこびれて瘤々だらけのステッキを右手に持って」
(角川文庫『病院坂の首縊りの家』上巻 P.83)
またしても、違うステッキです。この前後の事件に、ステッキの描写がまるで見られないことまで、戦後の頃と全く同じです。
このことから、金田一耕助がステッキを持ち歩かなくなるのは、どこかに置き忘れて失くしているのではないかという疑惑が浮かび上がります。その都度違う材質のステッキが登場するのは、懲りずに買い直しているのでしょう。
やがて、買い換えるのも面倒くさくなったのか、金田一耕助はステッキを持ち歩かなくなりました。
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Q111
金田一さんと由利先生のご関係は? |
土曜ワイドの『蝶々殺人事件』をみてふと湧いた疑問ふたつ。
『病院坂の首縊りの家』の中で、『蝶々殺人事件』を読んだ犯人がそのトリックを流用する記述があったと思うのですが、とすれば金田一さん世界では由利先生世界は架空の出来ごととして扱われているのでしょうか?
しかして、二つの世界に登場する等々力警部などは同一人物なのか別人なのか如何?
(のよりん さん)
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金田一耕助と由利麟太郎、横溝正史の代表的な二大名探偵は、同じ世界の住人なのかどうかということですね。
同じ世界の住人だが競演は不可。なぜならどちらも配役は石坂浩二だから、というのではダメですよね
(^-^;)
まじめに答えますと、『蝶々殺人事件』の中で、戦争で焼け出されて無一文になった三津木俊助が、生活費を稼ぐためかつて手がけた蝶々殺人事件を小説化した、という説明がなされていました。
『病院坂の首縊りの家』に登場した『蝶々殺人事件』というのは、横溝正史の小説ではなく三津木俊助が書いた探偵小説『蝶々殺人事件』だったと解釈すれば、金田一さんと由利先生、三津木俊助らが同じ世界で活躍していながら『病院坂の首縊りの家』の記述も間違っていない、ということになるのではないでしょうか。
また、両シリーズの等々力警部は別人と思われます。なぜなら演じている役者が違うから、というのもダメですね
(^-^;)
こちらは、横溝作品では「等々力警部」という名前は、警察機関の擬人化であるという解釈で、シリーズごとにそれぞれ別の人格の持ち主とした方が、矛盾がなくて良いかと思われます。
『病院坂』の等々力元警部は、『蝶々殺人事件』のトリックを知らなかったようですしね。
ただし、両シリーズに登場する等々力警部に、小鬢をガリガリこするクセが共通している点を指摘して、同一人物であるとみなす説もあります。
(春陽文庫「蝶々殺人事件・金田一耕助の徹底解剖」浜田知明・山前譲)
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Q110
獄門島の「真」犯人は? |
ようやく購入した「金田一耕助99の謎」を読んでて、『獄門島』の真犯人は孝子夫人のアイデアで今の犯人に変更したと書いてありました。
当初の真犯人を横溝先生はいったい誰に想定していたのでしょうか?
やはり彼女なんでしょうね。
動機もバッチリだし。
(文 さん)
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『金田一耕助99の謎』には、『獄門島』のエピソードは、次のように書かれています。
「プロットや犯人が決定したところで、正史が夫人にストーリーを話したところ、正史が最初意図していたのと違う真相を予想したのだった」(『名探偵・金田一耕助99の謎』P.132)
これを、出典となったであろう『真説・金田一耕助』の記述と比較してみましょう。
「大体人物の配置や事件がきまったところで、女房に話をしたところが、彼女の曰くに、で、犯人はその――なのね」(角川文庫『真説・金田一耕助』P.132)
また、『横溝正史読本』で横溝先生は、小林信彦相手に、このように話しています。
「あれネ、打ち明けると、犯人がそれぞれ違うでしょう。あれ、この人(夫人を見て)なんだよ。
『話としてはこういうシチュエーションなんだ』って、まだ犯人決めてなかったの。
『一人ずつ犯人なのね』この人がいうんだ。
およそ探偵小説的センスなんか全然ない人なんだよ。ない人だから、そんなバカなこといっちゃったんだな。(笑)」
もひとつオマケで『獄門島』初刊本のあとがきからです。(出典は『探偵小説昔話』より)
「なおこの小説の犯人はちょっと変っているのだが、この思いつきの動機はこうである。私はいつも大体の構想がまとまったところで、誰かにきいて貰うことにしている。(略)ちかごろではそういう人が得られないままに、女房でまに合わせている。この小説もまだ犯人はきまっていなかったが、大体、人物の配置や事件がきまったところで、女房に話をしたところが、彼女の曰く、で、犯人というのは――なのねと。」
どうです、ニュアンスがだいぶ違うでしょう?
特に、『横溝正史読本』やあとがきでは、犯人は決めていなかったとはっきり書かれているのに注目して下さい。
犯人が決定したと書いているのは『99の謎』の著者、大多和伴彦氏だけなのです。
おそらく先生が孝子夫人に話をした段階では、瀬戸内の島で奇妙な連続殺人が起きるという設定だけしか出来上がってなかったのではないでしょうか。だから、夫人の奇抜なアイデアもすんなりと物語に溶け込んだのでしょう。
後に、横溝夫人がインタビューで語ったことには、当時、家事や疎開先での慣れない農作業で疲れて眠いところに、先生が得意になって登場人物を話すものだから、話を終わらせたいのも手伝って、「それ、みんな犯人ですか」と半ば適当に口をついて出たものだそうです。
先生にもそれがわかったのか、ブ然として「犯人がそんなにいるか」とぶつくさ言っていたのが、いつの間にやら夫人が言ったとおりの犯人になっていたので、あきれたと言うことでした。
もし、仮に横溝先生が犯人を設定していたとしたら、僕は意外性のない「彼」の単独犯だったと考えます。理由は、見立て殺人なんてイキなことができるのは、この島では「彼」しかいないからです。あ、といっても床屋の清公なんかじゃないですよ>「彼」。
ところで、文さんが予想された「彼女」って、誰のことですか?
僕はそっちの方が気になって気になって……(笑)
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